タイの政治体制からみる政治観|タイ政治経済
みなさん、こんにちは。
タイに既にお住まいの方であれば、現在のタイは穏やかで「クーデター」と言う日本で生活していると無縁な言葉にも慣れてしまっているのではないでしょうか。日本にお住まいの方にとっては、細かいことは分からないけど、なんだか不安定な状態だと思われるかも知れません。確かに、憲法を一時停止している状況が普通とは言い難いですが、タイ国民にとってはもはや日常というくらい、クーデターは頻繁に発生していることですので、実は「またクーデターか・・・」くらいの感覚に思われています。クーデターというとイデオロギーの改革を行って政治権力や体制の変革を目的に行われるわけですが、今回の記事では政治体制から見るタイならではの政治観について書いていきます。
政治用語などについては、ざっくりと説明をさせて頂いていますが、あくまでざっくりですので、一部、厳密な定義とは違うものがあるかも知れませんが、ご了承ください。興味のある方はもっと調べて頂くと面白いですよ。
日本とタイの政治体制は似ているようで似ていない
日本は天皇を君主とする、立憲君主制です。立憲君主制とは、憲法に定められた範囲の中で君主が政治をする政治体制を言います。日本の場合、君主が憲法に沿って国会や内閣を組織し、国の運営を行うこととなります。タイも同じく立憲君主制であり、現国王であるプミポン国王が立法府である国会と、行政執行部を選挙により組織し、国政を行います。
日本もタイも立憲君主制であり、根本となる政治体制は一緒なのですが、大きな違いがあります。日本の君主である天皇は象徴天皇制であり、政治には関与しません。それに比べ、タイの国王は政治に大きく関与します。タイの政治を語る上で、国王というキーワードを外すことができないくらい、大きな存在となります。
タイの国王を象徴する言葉として、次のような言葉があります。
- 国王を元首とする民主主義
- タイの王政は絶えず変化している
表面上、特に意味のない言葉に思えるのですが、その言葉の裏には、重要な意味が隠されています。
- タイの民主主義は、国王が管理する
- 国王の権限に関しては、明文化されず臨機応変に変化する。
と、いうことです。
これらは、1992年の憲法作成時に憲法を起草した憲法学者が言っていたことです。つまり、国王の権限は憲法の範囲に限定されず、臨機応変に実行されるということです。これらの点を考えると、立憲君主制の前提が崩れてしまっているような気もしますが、このポイントがタイならではの政治観といったところでしょうか。国王が信頼されていて、国民を正しく導いてくれると信頼をされている証のように思えます。
タイの民主化の変遷と国王について
次に実際に国王がどのような時に、力を使ったのかということを確認していきたいと思います。クーデターだけでなく、憲法の改憲からも国王の権力を伺い見る事ができます。まずは、直近30年の中で国が権威を行使した時をリストアップします。
1973年クーデター:
今までの軍事独裁政権に対し、タマサート大学の学生を中心としてデモを決行。死者が出る程の政府警官隊と抗争が発生する。これに対し、国王は学生デモ隊への指示を表明し、これにより多ノーム軍事独裁政権は解散。その後の選挙によって、初の文民内閣が発足。
1992年(暗黒の5月事件):
前年に発生した軍事クーデターの首謀者が、首相を擁立。それに反対した抗議団体と軍隊が衝突をし、多数の死傷者を出すこととなった。この際も、国王が擁立された首相を退陣させることで事態を収集。
2001年よりタクシン政権の長期政権:
軍政と民政の間を行ったり来たりしながらも少しずつ、民主化の道を進むようになるが、政党の力が十分でなく、小政党の乱立を招くこととなる。結果、国政に停滞が見られるようになったため、政党の権限を大きくするため選挙法の改革や、国会議員が政党規則に縛られるような形に改憲。(1997年改憲)1997年改憲の影響より、タクシン政権が選挙で大勝。4年の満期後、次の選挙でも大勝。(タイの政治では、史上初です。)実際に手を下す事はありませんが、国王の立場としてはタクシン政権には反対で、2006年のクーデターにもつながります。
2006年、2014年クーデター:
タクシン政権指示派の赤シャツと、都市部中間層を中心とする反タクシン派である黄シャツの反目が大きくなってきたため、軍部のクーデターを支持。タクシン派は選挙で選ばれているので、しっかりとした正当性があったため、軍部は国王の支持を根拠にクーデターを正当化しました。
上記のように、国王が権力(権威)を使う場合は、2つのパターンがあることがわかります。直接的に仲介役として政治指導者を退陣させる方法と、選挙に依らない方法で権力を得た政治主体を支持することで、この政治主体に正当性を付与する方法です。
近年になってからは、選挙の意味合いが強くなってきたため、タクシン政権にように選挙による正当性を得た政治主体が出てくるようになりました。国王と言えども、むやみやたらと政治によって選ばれた代表者を退陣させることは難しくなってきました。今後は、直接的に国王の権力(権威)を行使することよりも、他の政治主体を仲介し権威を行使することが増えるのではないかと予想できます。
タイならではの政治観
これらから言えることは、国王はバランサーとして、憲法に縛られることなく力を発揮することができるという点です。「国王を元首とする民主主義」の国なので、行き過ぎた民主主義や、民主主義ゆえの国内分裂を柔軟な権力で修正するという役割があるようです。同時にもう少し踏み込んで考えてみると、民主主義の発展の下、選挙による正当性のある政治主体が出現し、正当性が多元化するようになりました。政治をするためには、正当性というものが必須となります。つまり、「なんであなたが、私のリーダーなの?」という質問です。現在のタイでは、民主主義による正当性と国王による正当性が多元的に混在している状況と言えるでしょう。 遠い昔、神様に選ばれたからなどもありましたが、現在は選挙によって選ばれたということが一般的です。タイでのタクシン派などは選挙で選ばれた政党ですので、これはこれで正当性があると考えられることに問題はないと思います。(黄シャツは、タクシン派は票買をしたため、正当性がないと言っていますが・・・黄シャツも同じようなことをしていましたし、どっちもどっちだと思います。)同時に、タイという国は国王を中心として成り立っていますし、今までの国王の行いがタイ国民からの信頼(正当性)を得ているのも事実です。
今回の国民投票の裏には、正当性の争いというものが見え隠れしています。どこに(誰に)正当性があるのかや、民主主義の概念のもと今回のクーデターを考察してみると面白いと思います。タイでは、選挙以外にも正当性があり、憲法には書かれない形でも国家が運営されています。選挙権を持っている訳ではないですし、タイのことはタイ人が決めていくことだと考えていますので、私がジャッジすることはありませんが、しっかり同行を追いかけていきたいと思います。
非常にセンシティブな問題なので、今回もあやふやな形で書く事になってしまいましたが、タイならではの事情があり、ご了承いただければと思います。結論については、それぞれ考えてもらえれば思います。今回は、そのきっかけになればと思い、執筆させていただきました。
誤りや、誤解を生みそうな文章がございましたら、ご連絡いただけますと幸いです。